昭和44年11月10日 月次祭
今度、佐田さんが御陰頂かれました、え..とっさのことでございますから、さあ..あれを話そう、これを話そうという考えも勿論してはおりますがね。そら不用意な事、まあ不用意であったことだとこう思います、けれどもお互い信心を頂いておるもの、ならば私いつもお話をしてくれと言われても、いつでも、その場で自分が頂いておるものですから、頂いておる事を話しに出来ん事はないと思うです。
出来んという人は話しを聞いておるだけ、口ばっかりの人、言うばっかりの人、いわゆる信心を頂いて行じていない人というと、もう私は過言ではないと思いますね、そういう風に開口一番、冒頭にそういうことを申されました、( ?)のことでと言われましたけれど、お話をいよいよ始められると、それこそ堂々たるお話でしたですね、素晴らしいの一言に尽きるお話でした。
もう一月も前に..え..教祖百十年の記念式典の御大祭に参拝させてもらい、そしてここでの..お..立教百十年に教祖大祭に合わせての..お祭り。
あの頃に実感された信心が今でも活き活きとして、おそらくあの信心が、御自分でも言っておられるように、これから又十年の間にああいう信心が育てられて行かれるだろうと、思うて聞かせて頂いて、楽しい事だな、楽しんだな、と思うわせて貰いました..ね、
記念祭というのは、十年なら十年という長い年月をいかに自分が御陰を受けてかという事を現して行くのが、記念祭だなとそん時頂いたと、それを、「うん」そだなあと自分でも実感された、それではこれから御陰を頂いて、ならこれから立教百二十年なら二十年というお年柄に合わせて頂いた時に、神様にどの様に喜んで頂けれる信心、又はですね、神に伴うところの神というものを頂いておるかということを、これからの信心の楽しみとして、御陰を受けて行こうと云うのでございます。
そこでそんならこれからの信心の生き方というものを、どこに焦点を置くかと、して( ?)教祖の歩かれた道と、いうことを話しておられます..ね.教祖の神様はまあ雲の上の方のように、実感的に肌で感じるような教祖様を頂けなかったけれども、ある時頂いた御理解の中に、人間教祖その教祖の神様が実意丁寧、いわゆる我侭のない、おお着のない、生活の有られ方、身体の芯が乗せられなかったという真の尽される限りの事を尽し貫かれたというその、人間教祖が歩かれた真の道というものをです、及ばずながら私共も
人間教祖に神乍せて頂こうという決心をなさって、まあ、一月なら一月の間それを自分自信が行じておられるから、あれだけの話し出けたんだと私思うです..ね。
私は信心は何て言うても、行じる人には勝ちません、又行じておるならばそこに話しの出来ないってことは有ろうはずはありません、通り一辺の尽し事ではなくて..ね..それも信心の根本原理に乗っ取っての信心を、私は教祖様大祭に語られたと思います。
その生き方で行きゃ間違いないという感じでございました、そこで私共改めてここに思わされることなんですけれども、本気で私共が人間教祖の在られ方というものを身に付けていこうという信心意欲(?)なければならないということなんです。このような場合、教祖の神様ならばどのような生き方をとられるであろうか、このような場合、教祖はどのような信心をなさるであろうかと、いうことを日々の御理解に照らし合わせての日常生活がなされてる。
今日、本部から..本部..上野愛子さんから、手紙、手紙というか(?)が届きました。来てましたら、こういう新聞が手に入りましたからというて、新聞を私に送ってくれ取ります、もう古い新聞、又今度二部送って来ておりました、その新聞の見出しに、日月、日月会だよりという新聞でありました。
「日月」日に月にと、「日月会だより」それをよく見ますと、金光の町のいわゆる大谷にある会なのでございます、いわゆるもとの金光教神愛会と言うておったような、まあ会らしんです、読ませて頂く内にです、もう本当にどこのどういう立派な宗教新聞よりもですね、何か一篇にあのう..お..読んでしまいたいといったような記事でいっぱいでした。え...まあ私共のように、その親先生と言う、言われている方は大変..え..まあ無学な方であり素朴な方のような風です、話しておられるその事が書いてございます。
ところがあの、周囲の方達が立派なんですね、いわゆる本部大谷ですから、本部に参拝される、偉い先生もござりゃ、偉い信者もある、そういう人達が書いている、ですから立派な新聞になっている訳なんですね、どうも私、しかも十五年の今度記念祭を迎えるというなこと書いて有りますから、色々、したら丁度若先生が来ましたから、「あんたどんこの人知らんか」と、したら「知らん」て、また学院の..お..ご飯焚きをしておられました。
韓国人の叔父さんが居られました、皆なが太郎さん、太郎さんと、まあ相性ですね。太郎さんで呼ばれとる方です、此方が非常に霊徳に優れてその..色々な事、お知らせに頂かれる、朝鮮人の方ですから言葉はまあその『がぎぐげご』は言えない方らしんですよ。
ですから皆がそのまあいうなら、低級な見方をしている訳です、よもやその方ではなかろうか、て私が親先生に申しましたら、字を見ながら、「ああ、その人ですよ、太郎さんですよ」ちこれは、息子さんが学院が一緒じゃった、そう若先生と書いてある、だかあ、息子さんが学院に行って、教師の資格を取っとられて何時も夜中に、若先生が奥城にそれこそ学院抜け出してからお参りさせて頂くと何時もその、そこに若先生という人と会いよった、まあよう似たその..ん..その境遇というか、そういうものが何か引き合うものがあったんでしょう、お互いにまあその..よく話し合いをした事があると言うて申しとります。
その太郎さん、太郎さんと呼ばれておられた、その韓国人の人が親先生らしいんです..ね。その表現しておられる話しは、実にその素朴な表現..ね。此方は三代金光様が大変お気に入りで、金光様のお宅に出入りが許されておると、お書き下げが『金光氏』というてからお書下げなさった事があったそうです、だから大谷の金光様、大谷の金光様で呼ばれておる..ね..まあ.からかい批を半分に聞いた事があるんですけれども、とにかく、大谷には金光様が三人ござる、第一は御本部広前に座ってござる現教主さま、一人はあの須田先生が信者を引き連れて奥城に参られるから大谷の金光様とこう、一人はそのたろうさんの事らしいんです、沢山のお参りがあるらしい、そう新聞のもようを見ますと..ね。
その実意丁寧な生きられ方というものがです、教祖の神様の生きられ方を..を.身に付けて行こうというただ一念がです、そういうお徳を受けていかれた。
太郎さんがお参りされると、金光様が外されないようにしてお話なさったそうです当時..ね。
本部教庁いわゆる事務、ここではそれこそ相手にもしない、いうならばまだ若先生が本部へ学院に行っとる時までは、ああその学院..学院の無視たちをされながら家に訪ねてくる人達の御取次をしござった。今でもその正式なお取次ぎという訳ではない、丁度あの神愛会というなこと、いうな風な事でございましょうけれどもね、皆から親先生、親先生とまあ立てられておられる方の、お広前での新聞であったわけでございます..ね。
だからもう信心御陰受けるという事はですね、もう本当教祖の神様に神習わして頂くということなんですね、しかも教祖の神様の生きられ方が、天地の道理に合っておるというだけではなくて、天地のいわば道理のもう一つ向こうにある道理にも、まで合っておられる、天地の道理にあう生活をしなければならない、天地の法則に従った生活しなければ人間は幸せにはなれないとこれはあらゆる宗教学者でも、宗教家でもこれを解いてある、ところがもう一つむこうにある、いわば道理というか法則というのは、今の現在、まだとかれていない..ね。学問的にもいうても、解かれ、わかっていない、ということを須田博士ですねあの、こう太郎先生の今度ここの御大祭の時に、御直会にあげましたパンフレットの中にその事が書いてある、これから先まだある、天地の法則が有るけれどもまだ分からないという風に言っておられるところを教祖の神様が辿られたっていうのは、どういう所であろうかと。 その太郎さんという先生がですね、いわゆる親神様のみ教えを対してのみ教えだと説明をしてある、かなばっかりで書いてある、そら日月だよりという字もおそらく太郎さんが書かれたそれこそ金光様が書かれた字を書いてあります..ね..それにこういうことが書いてある、心づく..『心づくし』というのが信心だと、だから心づくしというのを漢字直してみなさい、漢字に直すと信心ていうものが問う、説明しておられる、心を尽すと書いたら『心尽』と読む。
金光様の御信心はここなんだ、例えてその太郎さんがいうて居られます、いわゆる心を尽す、真を尽くすということ、これで済んだとは思いません。
どれほど尽しても、尽してもこれで済んだとは思わんという、教祖様の生きられ方、このまま十表の米、治めれば良いのだけれども、事実上は今年は沢山出来たのだから、やはり十一表お供えしておられる、治めておられると言ったような生き方なん、真というのはそれなん。
その辺のところがです.ね.いわゆる法則のもう一つ向こうにある法則、これはほなら人間が幸せになるという、物に恵まれるとか、幸せになれる、そう云う事だけではなくてです。いわゆる本当に御神徳が受けられるという世界、この頃から私が申し上げますように..ね警察棒に触れる、だから罰っせられるのだと、わからん事思いよるけれども神様が見ござる、天知る、地知る、我が知るである、だから警察法に触れたことして居るから、そこにいわば、刑務所行きをしなければならなかったり、くさい飯を食わなければならなかったり、という警察法にそれは触れるからなんです。だから警察法に触れないような生き方をすれば、警察法には触れ、いわゆる罰せられることはないと..いうのが今まで解かれた天地の法則であった、けれども教祖さ..もう一つ向う自分が身を持って行じておられたと..ね。
いわゆる心づくしだ、太郎さんのいうて居られる心づくしなん、自分は心づくしとかいておられるんですけれども、その心づくしを漢字で書くと「心づく..信心になる」ち...ね。
私共が『真心、神心、信心』真心..ね.神心、信じる心、もう一つだから信心というがいることが解ります..ね、その心を尽すということにはしかまで、しかも限りがない。
そこんところを教祖は辿られた、教祖の生きられ方てのはそれなん..ね、そこの所を私共の信心の上に頂かせてもろうて、御陰をこうむっていかなきゃならんという事になります..ねしかも..ね、佐田さんが今日いって居られますように、私は百二十年を目指して、百二十年の、いわば立教百二十年のお礼参拝させて頂く時には、百十年から、百二十年の十年間の間にこれほどしのものが、身に付きましたという信心と、これほどしの御陰を受けましたということを引っさげて、お礼参拝をしたいという意味のお話をなさいました。
立派な百二十年祭を、迎えさせて頂こうという事を、百十年のお年柄にあたってそれを決心した、その決心がその一月前に感じた事が、今も直それを心の中に、念じておられ、実行しておられるから、今日いうならば、その事をですね、その事の実感をです...ね.僅か二十分あまりありましたけれども、その話しを皆さんに、それこそ堂々とお話をされることが出来られた..ね。内容が有る者、内容にあるという事はです、知っておるという事ではない、自分がおしえを頂いて、教えを行じてそれが活き活きとして、日常生活の上に現されていっておる、その覚悟のほどを話すのですから、その覚悟のことがあるならば、誰でも応用出来られなければならんことになります..ね.信心はいわば聞くだけではいけん、頂かなければならん..ね.頂いておればです、そこに必ず何か答えが出てくるんです、頂かないから答えが出てこない、金光様の信心しとります、御縁を頂とりますと、言うだけではいけない..ね.改めてそこから思わせられる事なんです、本当に私共の信心がですどのような場合でも、教祖の神様の生きられ方というものを、私共が..ね
もっともっと深く広く分かると同時に、それを自分のものにして行こうという生き方が金光様の、信心させて頂く者の生き方でなからなければなりません。
今日、十日でございますから、今日ここの支払い日でございます、で小山さんが朝からずーっと支払いの事をしてくださいました、もう本当に今日という、今日はここの全財産をださにゃ、今日のお昼、この御結界のお初穂開かせて頂いて、それを銀行に入れて、
そいで丁度でした、結局もう親先生ここの全財産が、もうこれだけになりましたというのが、まあ( ? )まで有るらしい、何と今度、豊美の結婚式に五百万いってる、驚いてしもうた..ね、で最後のしめくくりの前後の支払いをさせて頂いて、もう少しばかし残っているならば合わせますと丁度五百万になる、まあようー神様は御陰くださったものだなと、思います、お金が二十万ばっかり足りません..ね.足りませんからこりゃ( ?)自分ののところ、自分のところの.を.まあ半分ばっかりにしてから、あ..二万ばっかりは先の方で頂きましょうとこう言う、「もうこらなかのう」私が言うたら、六千円ばっかり対応せんち言うもん。それを取って、貰ってしまうと、それならまあまちなさいて言う訳でお初穂整理させて頂いたら、丁度それ、ほならむつやも全部受けとって..あの払っとってください。「先生十八日には、又大きな五十万からの支払いがあります」ち言う。
「まあ、そん時はそん時たい」とに角あるのだから支払ってしまいなさいと言うて、支払いをさせて頂いた、まあいつもの事ながら神様の、間違い無さにですね、驚いてしまいます。
豊美の結婚式ですから、一丁どうぞ皆さんしっかり頑張ってくださいと言うて、私頼んだ覚えひとつもなかです..ね、ただ、頼むのは神様だけ..ね.それでもやはり神様の御陰くださってあるということ..ね、私は今度、え..きのう一昨日でしたかね、まあここ当たりでいうなら(? )と言うんですか、新婚さんたちがこちら旅行を終えて帰りますのと、あちらの先生が見えられます、ここで一緒になってその翌日ここで、え..まあ簡単な式をさせて頂きました、そん時に.え..午前中に.え..午前中でしたかね、お母さんをはじめ元の教官、竹部、古川先生当たり、( ?)から帰ってきた阿部先生ですかね。え..
一向四名ですか、あのう、お見えになりました、そん時に今日、私あのう繁雄さんから聞かせて頂いたですけれども、ときに元の教官が何かこうまいたようなものを下げ持つようにして、持って見えたつがその、何じゃったんじゃろうかと思いよったち、( ?)繁雄さん本当どげん考えたっちゃ有りがたか事ばいち..ね、今度はね、あの教官がことづかってきておられるもの中にもう現教主金光様からお土産が来とる、教主金光様から合楽の教会にお土産が来とります、はあ..な.それを持って見えよった、興奮してからその持って見えた、おられたその金光様(?)じゃったじゃろう、それは金光様のいわゆるご執筆なんです、
大きく示訓されるように【天地の大恩】と、して金光様のお名前を、して判を押しておられる、こら皆が金光様にお願いをして、書いてもろうたという人はあるけれども、お土産に頂けるようになった合楽も、大変なことなんだと私は思いよるです。
又これは一つ合楽にひとつの宝物が出来た..ね、だから金光様に今度はこちらから、又お土産をおこと付けする、お土産を頂いて、またお土産を御ことづけ出来るてな事を、合楽..あの教官が、元の教官( ?)先生が確かにあのう..お渡させて頂き致しますというて、持って帰って頂いた、どんなに考えても本当え..ついこの頃までは..ね、金光教神愛会て神愛会とはそれこそ、太郎さんの先生じゃないですけれど、それこそまあ..あ..悪人の方が高かったぐらいな、あ..椛目の信心がですね、神愛会の信心が今日合楽教会として、段々御陰を頂かせてもらい、それこそ九州のお..名門を通りぬけて、本部の名門にその( ?、)させて頂けるというほどしの、まあ御陰のことになって来ておる..ね。
段々御陰を頂かせてもろうてです..ね、いよいよ私共がどっちかちゅうと、私共がちっとその、今朝からの御理解じゃないですけども..ね、いつも頭で手を打つような、思い上がりの強い私の生き方なんですから、頭を打っては改まらせてもらい、頭を打っては、いよいよ教祖の生きられ方は、あられ方はとそれを追及してやらせて頂いております所からです、段々そのような御陰を受けることが出来るようになって来た..ね、今(? )でたとえば御本部の日月会でもおそらく、近い将来教会にもなるでしょう..ね、沢山の偉い先生方が親先生、親先生まあいわば、金光様としてその仰がれておられるということはですね。
それはここの新聞ぐらいことじゃない、もっと(?)立派な新聞です..ね。
ついこの頃までは、御本部のいわば炊事方をしておられた、しかも韓国人の方、お話させたらそれこそ『がぎぐげご』は言えない(?)の方..ね。けれども御神徳を受けられて人が助かる、どこに御神徳を受けられるもとが有ったかというとです、天地の道理にそくおうした生き方をされだけではなくてですね、いわゆる、天地の特別の信用、特別の宝生を受けられるほどしの( ?)そこにあったからこそ、そういう御陰に成ってきたんだという風に思わせて頂くのです..ね、お互いにどうでも一つ御陰を頂きましてね。
いつも私共は、何時も頭を打っておる..ね、少し調子が良いとすぐぞうちょうする..ね。
神様が御蔭を下さることの為には、いわばお気づけを下さる..ね、だからお気付けを下さったら、お気付けをくださったり、それを直ぐに自分の心の上に、自分の手元足元の所
良く見て、ああ..教祖様生きられ方、あられ方というものにです、え..神習わせて頂く姿勢をすぐ整えさせて頂くという、私は御蔭を受けていかなきゃならん、金光様の御信心というのは、これで済んだとは思わないという生き方、いわゆる信心です。
いわゆる心尽くしであります、心を尽して行くということはこれで良いということはありません..ね。
そこんところを私共が極めてさえ行けば..ね天地の道理に合うだけではなくて、天地の親神様の御信用を受けることが出来る、その天地の神様の御信用こそが天地の体得である。
体得を身に付けさせて頂くところから..ね..天地が自由になる程しの御蔭も段々頂けてくるようになる訳でございます、合楽の方達はとに角、御理解に馴れっこになっているね。
え..み教えをいわば聞く耳だけが越えてきておるような感じがする。
昨日、それもやっぱし愛子さんの同期の方から手紙が来た、この頃御本部に行った時に、お話をまあ僅かな時間ですけどさせて頂いた、その時の感動、その時の喜びを手紙、便箋何枚書き綴ってきております..ね。いわば愛子さんから聞いておった話が.を.生で聞いた、生に親先生に、お目にかかれた、膝を交えてお話を頂いた、その事の感動が、そりゃ又皆さんの一所に来た手紙の中に..ね。『せい』という人ですけども、せいさんは.あの晩は.とうとう..ね、眠れないほどの感動を感じたと言うております、と言うてきとる、それがここで私が何時も話しするようなことをお話しをしただけの言なんですけどもね。
それがお互いそういう感動になって表れない..ね、それが私は行じないから、感動になってこないのではなかろうかとこう思うのです..ね、ただ、詳しゅうなって行くだけ、そのせいさんのぼう手紙の冒頭にですね、勿体無くて、勿体無くて、有り難くて、有り難くて、嬉しくて、嬉しくてと二つずつ重ねて書いております..ね、その朝、学院生一同が
奥城にお参りさせて頂いて、あの百七十三ヶ条の御教えを一ヶ条づつ読んでくださる。
その読んでくださったのが、【信心してみかげのあるを不思議とは言うまじきものぞ。】という御神訓を頂いた。
ところが晩に私のところへやって来て頂いたその御教えが、その御教えであった。
その御教えは、私その日一日の式がありました、色んな宴会がありました、様々の事柄の御蔭のタイミングの素晴らしい中に御蔭を受けた話を、お..させて頂いた、だからその
御教えを実際の、御蔭話を裏付けにして、お話をさせて頂いた、それだけのことであった、いや...皆さんが言われたように本当に、合楽の先生は見通しだというてその感激した。朝、百何十ヶ条の中に一つ頂いたもの、「それ」やっぱり頂いたものもそれだった。
というわけなんです。ですからそういう意味でなら、皆さんはもう日々そういう体験を、朝の御祈念にでも参っておられる方なら頂いて行かれておるんじゃないかと..ね。
そこで、信心には有り難くて、有り難くて、勿体無くて、勿体無くて、嬉しくて、嬉しくてというものが、なからなければすぐに躍動する働きになってこない、すぐに今日も教祖様の有られ方を、いわば自分の信条にして行こうという、熱意が掛ける、その喜びであって初めて私は御蔭を受けられるのじゃないかとこう思う。
信心にはどうしても、勿体無くて、勿体無くて、どうしてこのようなことになってきたであろうかと思わしてもらう..ね、有り難くて、有り難くてという御蔭を頂かねばならない。そういう道をわからせて頂いたということが、又分からせて頂たという事が、嬉しゅうて、嬉しゅうて、ということになって来るような信心をね、お互い頂きたいもんだと思います。
.......どうぞ... 渕上順子